311回の遅刻と7回の転職をした剛力大介の平凡なストーリー

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窒息死しかけた超フツーすぎるガリガリ小学生

昭和60年の7月17日、千葉県で僕は生まれた。

体の弱い母親と頑固一徹の父親の元で、妹と一緒にすくすくと育った。

311回の遅刻と7回の転職をした剛力大介の平凡なストーリー

ただちょっと人よりもガリガリだった。

ガリガリで顔も小さければ全体のバランスがいいが、ガリガリなのにむしろ顔は人より大きいサイズのため、体型がコンプレックスだった。

小学2年生の時に、一度、生死をさまよった。

原因は「アメ玉」。

当時、30円くらいで買える大玉のアメ玉が近くの駄菓子屋で売っていて、僕はそれが好きだった。

運動会の昼のご飯タイムの時にそれを舐めたら、なんと喉に詰まってしまった・・・・様子がおかしい僕に気づいた母親が大慌て。

逆さまにして、背中を叩いても、アメ玉は出てこず、救急車を呼ぶ事態に。その時の記憶は全くないが、なんとか一命をとりとめた。

それからというもの、僕は大玉のアメがトラウマで舐められない。

小学生3年生からサッカーを始めた。

上手いかと言われれば、下手な方だった。緊張しいで、自分所にボールが来たら何をすればいいのかわからずに、テンパってすぐに人にパスを出していた。

ただ所属していたクラブチームが最弱かつ人数がギリギリだったので、いつもレギュラーだった。サッカーは好きでもなかったけど嫌いでもなく、一応小学生の卒業までは続けた。

スポーツ以外は何をしていたかと言われれば、学級委員や運動会の応援団なんかも立候補してやった。目立つのが好きという感じではなかったけど、今思うと、このころから「興味を持ったものにはすぐ飛び込む体質」だったんだと思う。

もぬけの殻となり逃げ出した幽霊バスケ部員

中学に入ると、今度はバスケ部に入った。理由はなんとなくカッコよさそうだから。笑

たまたまこの時、スラムダンクが流行っていたので、部員もたくさんわいわいしていた。ただ僕はこの時スラムダンクを読んだことがなかったので、その話には全然ついていけなかったけど。

この時のバスケ部はかなりスパルタで超体育会系だった。先生もさることながら、1つ上の代のリーダーはヤンキーがかっていてかなり怖かったのを覚えている。

絵に描いたような体育会系で、下級生はボール磨いて、走り込んで、試合では大声出して応援して〜と休みもなく毎日ハードな日々だった。

バスケ部では仲のいい友達何人かできた。その内の1人に「ヤス」という友達がいた。見た目は、マルコメくんの実写版のような愛らしい雰囲気だった。

ヤスとは家もわりと近かったので、部活終わりの帰宅時や休日の遠征の練習の時によく一緒に行動していた。そしてヤスとはよく遅刻もした。

遅れてはいけない先輩の試合の日に一緒に遅れて行ったりなどして、ヒヤヒヤしたのをよく覚えている。たしかそのせいで顧問の先生に怒られ、一度、2人で体育館を50週くらい走らされたこともあった。

ヤスやバスケ部の他の仲の良い友達のおかげもあってか、ハードな日々も楽しく耐えられた。しかし、中学2年生になり世代交代が起こり、自分たちの代が最上級生になった頃、すでにバスケにほとんど興味がなくなっていた僕が幽霊部員と化した。

ただ幽霊部員になったからといって、バスケ部員の友達たちとは犬猿な仲にはならなかった。というのも、僕が今までいう「ゆるキャラ」みたいなキャラクターだったので、周りも別に幽霊部員化しようともキャラのおかげもあってか普通に仲良くしてもらっていた。

じゃあ幽霊部員になって何をやっていたかといえば、実はその頃、今度はテニスに興味を持っていた。本当のところをいうと、中学に入ってすぐにテニスとバスケどちらをやろうか悩んだ。

けど、僕のいた中学はいわゆる軟式テニス部しかなくて、硬式テニス部がなかった。当時は勝手な偏見で、軟式テニスはテニスじゃないと決めつけていたので、軟式テニスはやめることにして、バスケ部に入った。

そんなことがあったから、幽霊部員になってからはひそかに硬式テニスクラブに週1回通った。週1回だったので、そこまでたくさん練習はできなかったけど、それでもテニスに関しては今までやってきた中で一番楽しいスポーツだと思えた。

校内随一の不良とキング争奪の大激戦

そんな中学生活を送っていたの僕だけど、中学時代の自分を語る上で、欠かせないのが「遅刻」。

僕は中学3年間の間に遅刻を311回した。

それほど朝に弱かった。さらに僕の母親も朝に弱いタイプのため、朝に誰も起こす人もいなく、日常的に遅刻を繰り返していた。

僕の場合、遅刻といっても数分の遅刻などではなくヒドい遅刻で、1限終わり2限終わりにいくのはわりと普通だった。それでも中学1、2年はそれなりに頑張っていたけど、中学3年になると気が緩んで、遅刻回数はさらに加速した。

1限が始まってから学校に登校したことがある人ならわかるかもしれないけど、授業が始まってからの学校というのは、ものすごく静かで、もし下駄箱や廊下で誰かがいようものなら、すぐに物音でわかる。

そこで僕は同じ遅刻の常習犯とよく会った。彼は学内で一番の不良で有名。

なので、僕もビビって話しかけることはしなかったけど、あまりにもよく遅刻してきて会うために、いつのまにか彼と会うと意心地の良さを感じるようになった。

結局卒業まで彼とは話したことはなかったけど、僕は一方的に彼とは唯一無二の遅刻仲間だったと思っている。

そんな彼とは卒業まで学年一の遅刻キングの座を熱戦を繰り広げていた。ただ今話したように彼とは卒業まで話したことがないので、最終的にどちらが勝ったかは不明だけど・・・・

MTVでDidoの「Thank you」を見て洋楽に発情

中学の終わり頃に、家がJ-COMというケーブルテレビに入った。そのケーブルテレビは洋画やスポーツやアニメ音楽などの専門チャンネルがあり、僕は食い入るようにテレビに夢中になっていた。

中でも、衝撃を受けたのはMTVという音楽専門チャンネルで、そこで初めて「洋楽」というものに本格的に触れた。

洋楽で一番初めにハマったのがDidoの「Thank you」というこの曲。(後にラッパーのエミネムがこの曲のサンプリングを使用した「Stan」という曲は知っている人が多いと思いかも。)

 

単純に美人さんだったのもあったけど、邦楽では聞いたことのない美しいメロディー、PVのクオリティー、そして洋楽は歌詞に韻を踏んでいて、聞いていてすごく心地よく感じ、それ以来どっぷり洋楽にハマるようになった。

人から笑いをとることに夢中だったケインコスギ

そんなグダグダの中学時代を送った僕ですが、高校受験の勉強は少し頑張って、なんとか中の中の公立高校に進学することができた。

高1の時はモー娘の絶頂期、ミーハーな僕はモー娘に夢中だった。周りはゴマキとなっちのファンだらけだったけど、個人的には圧倒的に矢口真里推しだった。それがきっかけで後ろの席の友達と仲良くなったのを覚えてる。でも、まさかのあのやぐっちゃんが、数十年後のあんなことになるとは夢にも思わなかったけど・・・笑

そんな思春期真っ只中の高校1年の時にクラス内で流行ったことがある。

それは「じゃけんで負けた人がみんなの前で芸を披露して笑わせる」という謎のゲーム。

最初は芸なんてないし人前でやるのも恥ずかしかったのですが、自分が芸をやることでみんなが笑ってくれることが楽しくなってきて、毎日のようにネタを考えていた。

そこでの僕の十八番が「スポーツNo1決定戦でのショットガンタッチの時のケインコスギ」というネタ。内容的にはただのモノマネで、ただひたすら叫ぶだけ。けど、なぜか評判が良かった。笑

オリンピック選手を目指すも手首を事故で損傷し即引退

高校に入ると部活は硬式テニス部に入った。念願の硬式テニス部。

テニスに関してはかなり夢中になっていた。たまに朝早く来て1人で練習などもしていたのですが、そこそこうまい方ではあった・・・・練習ではね。

そう、僕には致命的な弱点があった。それは「本番に弱すぎる」ということ。当時の僕はテニスがメンタルスポーツだということに気づいておらず、とにかく練習に打ち込めばうまくなれると思っていた。

その結果、本番になると本来の力の半分も発揮できずで、レギュラーになることすらもできず、鳴かず飛ばず。

そんなテニス部を続けるか傍で、ある出来事が起こった。

それは忘れもしない、2002年のソルトレーク冬季オリンピック。

あの当時、フィギュアスケート選手で同じ年で金メダルを取った「サラヒューズ」という女性選手がいた。

それを見た僕は衝撃を受けて、

「ええ、なんで同い年の子が金メダル?!いや、なら俺も今からでもいけるわ!」

と思った。なぜか金メダリストと自分を同列に考えるという破天荒な思考を繰り広げて、その結果、何をしたのかといえば、スキー部を作った。(正確にはある先生が作ろうとしていた「スキー部」発足の話にに便乗しただけだけど)

なぜフィギュアスケート選手に影響されたのにスキー部なのかといえば、その時、モーグルの上村愛子選手にハマっていたから。(アホ)

そして僕はオリンピック選手を目指すべく、勝手に1人でトレーニングを始めた。毎日5kmの走り込みと筋トレ、そしてローラーブレード。

そして事件は起こった。

トレーニングを開始して1ヶ月ほどたったある日の夜、スキーが出来ない時にスキーをイメージしたトレーニングとして選手がローラーブレードをやると聞いていたから、その日も家の周りでローラーブレードをやっていた。

しかし、調子に乗って回転しようとした瞬間に足を滑らせて、体が宙に浮き、慌てて空中でバランスを取ろうとしたら、右手から地面についてしまった。そして右手に全体重と重力が加わり、とんでもない痛みが右手に走った。

その結果、手の骨と腕の骨が離れるという衝撃の事態になり、全治2ヶ月。そして僕はスキー選手からの引退を決めた・・・(引退というか何も始まってないけど)

学園祭でカレー屋のマスコットキャラクターに

高校時代には1つ不思議な出来事があった。

高校1年生の時の「じゃけんで負けた人がみんなの前で芸を披露して笑わせる謎のゲーム」の影響と本来のゆるいキャラクターのおかげで、いつのまにかなぜか同学年の男性を中心にヤンチャ層から普通層まで幅広く受け入れてもらえるキャラになっていた。

その結果、高校3年の時に行った学園祭の出し物のカレー屋さんで、なんと僕の名前が店名に使われることになった。正直最初は、

「えっ?どういうこと?!完全に俺なんて内輪ネタでおもしろいだけっしょ!他の学年の人とか絶対意味わからんと思われて終了っしょ!やべー、どうなるか怖すぎる!」

と困惑した。ただよく考えたら、ここまで自分にスポットを当てられる経験なんて貴重だなと思ったので、どうなるんだろうというワクワク感もあった。

結果的には、周りのみんなが色々と協力してくれて、動画のCMを作ったりと、すごく楽しい体験ができた。ただ店の中に僕の顔が飾られたりした時はさすがになかなかの恥ずかしさで軽く死にそうだった・・・けど、それも含めて今となってはいい思い出だなと思ってる。

赤点と理科室と哲学浪人

そんなこんなで高校時代だったけど、肝心の勉学は全くダメで、成績は赤点だらけ。

クラスでビリから数えてトップ5に入るひどさで、特に科学が苦手でいつも赤点だった。

その結果、高校が卒業できなくなる危機に直面。

たまたまその時の科学の先生が良い方だったので、理科室の掃除をすれば赤点を免除してくれるという神対応のおかげでなんとか卒業はできたけど、もちろん受験には失敗。受験した大学はすべて落ちた。

浪人時代に入ると、最初はたいして勉強もせずに仲のいい友達2人といつも一緒に千葉県の柏のラーメン屋巡りをしていた。

ただ夏頃になると、このままでは2浪するという危機感が芽生え、新しい刺激を求めある有名予備校「河合塾」の夏期講習に参加した。

この時にその後の人生に多大な影響を及ぼす人物と出会った。

それが現代国語の先生である「鈴木慎一郎先生」。

この人の授業はすごく面白くて、いつも待ち遠しくてたまらなかった。学校を含めて、体育以外で授業が待ち遠しいなんてそれまで一度も思ったことなかったけど、この先生の授業だけは別格だった。

鈴木慎一郎先生は哲学に精通されている方だった。

先生から学んだことは多々あるけど、なかでも一番僕に影響を与えたのは、

「懐疑すること」

簡単に言うと、今までの自分が受け入れてきた常識や社会の仕組みは、実は正しいとは限らない。すべて疑って自分の頭で考えようというもの。

その考え方を自分のなかに取り入れた時に、見えてくる世界が劇的に変わった。

「なんでみんな大学を目指したがるのだろう?なんでみんな働くのだろう?」

こんな風にいろんな疑問が湧いてきて、考えるだけで毎日が楽しくなった。

そんな素晴らしい教えをくれた鈴木慎一郎先生の講義ノートは今でも大切に保管している。

そのような影響を受けた結果、浪人時に突然、哲学に興味を持ち、僕は京都にある立命館大学の哲学科に進学することになった。

千年の都にて「主体性の鬼」と化す

実家が千葉県で大学が京都だったので、大学に入ると初めての1人暮らしをした。

憧れの1人暮らしだったので、きっと毎日が楽しいんだろうなと京都に行く前からワクワクしていた。行く前は、能天気に「ハレンチなDVDを心置きなく見れるぜ!」とかそういう馬鹿なことばかり考えていた。

しかし、現実は違った。

高校まではわりと友達に遊びに誘ってもらえる方だったから、自分から遊びに誘ったりすることはほとんどなかった。だから、大学もそんな感じで普通にしていたら、遊びに誘ってもらえると思い込んでいた。

けど、実際は友達はほぼ0だった。

高校のように毎日クラスメイトと顔を会わせるわけもないから、自分から積極的にいかなければ友達なんてできなかった。ただでさえ哲学科という個性しかない人たちの特殊なグループの中だったから、なおさら。

でも、今まで自分から積極的に友人関係を作った経験がなかったから、どうすればいいのかわからず、結局ろくに哲学科には友達はできなかった。

当時の僕は、京都のろくに電灯もない暗くて静かな山奥のマンションに住んでいたから(仁和寺の近く)、家に帰ったところで寂しさが紛れるわけでもなく、あまりにも静かで孤独な毎日を過ごしていた。家に帰ってパソコンのオンラインゲームをやるのが寂しさを紛らわす唯一の手段だった。

そんな寂しい日々を送る中で、こんな受け身の人生では何も変わらないということに気づき、自分から積極的に動いていこうと思うようになった。

まずはテニスサークルに入った。そのサークルは関西人が多くて、若干関東人は白い目で見られがちだったけど、めげずにコミュニケーションをとるようにしていったら、そのサークルでは大切な親友もできた。

そういった自分の中の小さな成功を得てから、少しずつ自分から主体的に行動することに味をしめて、色々なことをやった。

留学生支援団体に入ったり、学生映像制作団体に入ったり、潰れかけた英語サークルに入って再健を試みたり、とにかく自分から動くのが楽しくなっていった。

やることなすこと自分が先頭に立ってやることに楽しさを感じていた。そして今まで受け身でいたことによる機会損失がどれだけ人生で損をしていたかを強く痛感した。

またこの経験から、自分で何かやりたいという想いが強くなり、起業に興味をいただくようになった。しかし、頭で考えているだけで実際に行動に移すことができずに時間が過ぎていった。

そしてやがて就職活動期を迎えたのですが、僕はほとんど就職活動をしなかった。

なぜかといえば、僕はこう考えていた。

「なぜ何百万も授業料なり払っているのに大学生活より就職活動優先なんだろう?社会なんて卒業したら死ぬまでいる場所なんだから、そんなの後回しでいいっしょ。大学時代は今しかないのに、なぜ企業様はそんな大切な時間を奪うんだ?」

「みんなそういうことを考えず、なぜ無心に就職活動なんてできるのだろう?そもそも冷静に考えて、ただ自分の好きなことを研究しているだけのオタクみたいな人種である教授とやらに学んだことから、本当にやりたい仕事なんて見つかるのか?そもそも教授なんて一般社会に出てない社会不適合者な人間だといってもおかしくないのに。」

かなりひねくれまくっているけど、これが僕の「懐疑思考」の結果だった。

とはいっても、現実は厳しい。

このように考えていたものの、就職ではない卒業後の何か新しいな道を開拓できたわけでもなく、やむなく卒業直前に就職活動を本格的に始め、なんとか東京のTVCM制作会社にADとして就職することができた。

6つのジョブチェンジの果てに

結論から言えば、TVCM制作会社のADは入社後、わずか3ヶ月で辞めた。

理由は激務であったのと、仕事の達成感を1ミリも感じなかったから。

じゃあ、そもそもなぜTVCMの会社に就職したのかといえば、それは学生時代に映像制作団体に入り、そこで映像を作って大学にお金をもらうという特殊なアルバイトをしていたから。

そのアルバイトが楽しかったので、きっと映像制作に興味があると思っていたのですが、会社に入ってからそれは違うことに気づいた。

入社直後にいきなり3本のTVCMのチームに同時に所属することになり、最初の1ヶ月半で3本もTVCMの制作に携わらせてもらった。もちろん制作過程は辛かったけど、きっとCMが完成したらさぞかし感動するのだろうなと思っていた。

しかし、実際は完成したところで、それがTVに流れたところで1ミリも嬉しくなかった。

「なんでだろう?学生時代に映像を作っていた時はあんなに楽しかったのに・・・」

とかなりショックを受けたのを覚えている。でもその理由は単純で、学生時代に僕が映像にやりがいを感じていたのは、映像というよりもどちらかというと「目に見える人」だったのだ。映像を作って大学に納品して、仲間や大学の職員さん直接反応を見れるのが楽しかった。

TVCMといういつどこで流れるかもわからない、誰に見られているかもわからないような不特定多数に発信する媒体だと、人の反応が見れなかったので、一方的な自己満足媒体にしか思えなかった。それに気づいた瞬間、僕はTVCMというものへの興味を一気に失った。

そしてTVCM会社を辞めた。自分が「目に見える人」に対しての仕事が好きなのかもしれないというヒントだけはTVCM制作会社の経験から得ることができたけど、具体的に何がやりたいのかがわからずに、その後、僕は職を転々をした。

ホームセンターの販売員・自動車保険会社の事務・リラクゼーションセラピスト・通信教育会社の電話オペレーター・経営コンサルタントのアシスタント・・・・とにかく紹介されたり興味を少しでも持ったらやってみようというスタイルで、なんとなく働いてはやめるを繰り返してきた。

「一体、自分は何をしたいんだろう?自分の居場所はどこなんだろう」と半ば自分に嫌気がさしていたし、自分の人生に絶望しかけていた。

学生時代に抱いていた自分で何かビジネスを起こしたいという想いもあったが、起業するにはどれも多大な資金がかかるものばかりで結局何もできずにいた。

そんな職を転々としている中で、ひときわ興味を惹く会社を見つけた。

それは「輸入インテリア・雑貨」の会社。

僕は大学時代にインテリアや雑貨に興味を持ち、いろいろな店を回ってはウィンドウショッピングをするのが大好きだった。それは大学を卒業してからも同じで、常にインテリア雑誌をチェックしたり、1人で東京都内のインテリア雑貨店を1日中見て回ることもよくあった。

趣味程度だと思って、あまり気に留めていなかったのですが、何気なく好きなインテリア雑貨店のホームページを見たら、WEB制作のスタッフを募集していたので、思い切って応募してみた。

すると、運良く受かることができてインテリア会社で働くことになった。

インテリアをやりたくてインテリア会社を辞めた

インテリア会社に入ると、そこには毎日のようにわきわくするような商品がヨーロッパより届いた。

日本では見たことのないようなデザインの商品ばかりで、僕は新しい商品が届くのが楽しみで楽しみで仕方なかった。

そしていつも新しい商品を見るたびに、インテリアへ興味が日々強くなっていきました。それにこの会社の方はみんないい人たちばかりで、人にも恵まれていた。

そして日々インテリアへの気持ちが強まる中で、僕はこの会社を辞めたいと思うようになった。

なんで楽しいのにやめようと思ったのかといえば、理由は2つある。1つは、

「この会社にいても自分がやりたいことはできない。なぜなら僕は雇われている雇用者だから。」

と思ったから。

インテリアにのめり込んでいく中で「自分が好きなようにできたら最高だ!」と思うようになっていった。つまり、自分が好きなインテリアを扱ったり、自分が好きなインテリアをいつか作りたいという想いが強くなっていったのだ。

しかし同時に、それは自分が雇われている雇用者である限り実質不可能であることに気づいた。

どういうことかというと、社長は自分で資金を集めて自分で授業員を雇用をするというリスクをとっているからこそ、自分がやりたいように経営できるが、従業員はある程度安定したお給料をもらう代わりに社長の意向には基本的には100%同意しなければいけない。

そう考えたらいつまで経っても雇用者という立場にいる限り、自分のやりたいようにすることは不可能だとわかった。サラリーマンならば当たり前のことかもしれないけど、それがもどかしくてできるならば自分も独立して経営側に回りたいと思った。

そしてもう1つは、親が体調を崩した事。両親は高齢(70才)であることもあり、すごく近い将来、自分の家族だけではなく、両親2人の面倒をみないといけないと考えた時に、普通の会社員の給料では到底余裕がないということに気づいた。

散々迷惑をかけてきて親の面倒もみれないなんてことはないように、僕がなんとかして稼がなくてはいけないと思った。

その結果、まずお金を稼ぐための仕事をすべきだという結論に至った。そして余裕ができたら、自分で自分の好きなようにインテリアの仕事をしようと決めた。お金を稼ぐための仕事をして、お金を貯めてインテリアを自分でやろうと考えたわけである。

そんな時に出会ったビジネスが、ブログを使ったブログビジネスだった。ブログビジネスというのは、資金力のない個人が1人で起業には最適で、大きな収益も見込めるとのことだった。

それを聞いて起業に興味を持っていた僕は興奮を抑えられなかった。やっと自分でも起業ができるものが見つかった、と。

しかし、当時はブログを使ったインターネットビジネス(主にアフィリエイト)ははっきり言って、とても怪しいものだった。googleで調べると、ある人は「ブログは最高だよ!」というし、ある人は「ブログはダメだ!」と言っていて、何が正しいかわからなかった。

ただまだ発展途上の業界だったために、とりあえず自分の目で見てから詐欺かどうかは決めようと考え、思い切ってブログビジネスの世界へ足を踏み入れた。

あらゆるものをお金に変える驚異的なマネタイズ力

インテリア会社に勤務しながら、ブログビジネスの仕事を始めた。まずはある程度、収入の目処がたってから、インテリア会社を辞めようと思ったから。

けど、ブログビジネスの世界にのめり込むうちに、いつのまにかほとんど睡眠時間がなくなり、体調もすぐれなくなってきたために、まだブログビジネスで地に足がつかないうちに、思い切ってインテリア会社を辞めた。

そしていつか自分でインテリアをやるという夢を胸に秘めながら、ブログビジネスの世界にのめり込んだ。

ブログなどを使ったインターネットのビジネスの世界は表面的には怪しいものだっだけど、深く勉強していくとビジネスの手法としては非常にレベルが高いものだった。

どういうことかといえば、他のビジネスと比べて圧倒的に「マネタイズ力」が高い。ブログビジネスのマーケティング手法とプロモーション手法を使えば1つの素材を100の価値に変えることができてしまう。(実際に私がビジネスパートナーと立ち上げたあるプロジェクトでは制作期間わずか1ヶ月半のものが1年間で3000万円もの利益を生み出した。)

ただ逆にいえばこのスキルを悪用すると、その辺で汲み上げてきた公園の水を100万円で売ることすらできてしまう。それゆえに、一部の悪党業者によって、実際にあやしいセールスが度々行われていた。

その結果、未だにブログなどのインターネットビジネスの世界はあやしいと言われている。しかし、深く勉強すれば、特にマネタイズという点においては非常に強力なビジネス手法であることが誰にでもわかるだろう。

やりたいことをやれていない人のお手伝いをしたい

ブログビジネスで成功するためのには、「マーケティング力」・「プロモーション力」、主にこのスキルが必須。そして実はこの2つのスキルはブログビジネスに限らず、あらゆるビジネスに応用できる。

僕はこの2つのスキルを身につけた結果、ブログビジネスを教えてくれた師匠を始めとした周りの方々からもお仕事をいろいろいただけるようになった。

ブログ記事の代筆やメールマガジンの代筆、商品案内ページの文章の代筆、ネット集客代行、ビジネスモデルの代理構築、商品プロモーション動画制作、ヘッダー画像制作、ビジネスセミナー運営など、すべて自分の名前は表には出ないゴースト的な立ち位置の仕事がほとんどだったが、多種多様なジャンルの仕事をさせていただけた。

その結果、今では自分のスキルのみで食べていけるようになった。そして今はノマドワーカーのような自由なスタイル仕事をしており、本来やりたかった「インテリア」のことも少しずつ始められるようになり、ストレスフリーで楽しい生活を送っている。

ただ、今、自分に余裕が出てきたからこそ思うことがあった。

「もしかしたら、自分と同じように本当はやりたいことがあるけど、いろんなん事情があってできなくて、悩んでいる人が他にもたくさんいるんじゃないのか?」

そう思って今回、この「メモ×マネタイズ=メモタイズ」と言うブログを始めた。

このメモタイズというのは、僕の今までの集大成。そういうと、いろんなスキルが必要になるのではという話になるかもしれないけど、このメモビジネスはやるべきことを極限までそぎ落として、最低限の知識と労力でマネタイズにつなげるというビジネス。

簡単に言ってしまえば、名前の通りメモををマネタイズ(=お金に変える)にするのだけど、メモタイズに関しては別の記事で詳しく解説してきたいと思う。

そして、このメモタイズを通じて、昔の僕と同じ境遇の仲間の力に少しでもなれたらと思っている。

メモタイズを始めることであなたは生活に困らないほどの収入を得られるようになり、そしてその結果、自分がやりたいことをやれる自由で楽しい生活を送ることができる。

朝早く起きる必要もないし、平日の昼間からビールは飲めるし、家族には気兼ねなく温泉旅行をプレゼントしたりもできるし、いいことだらけ。

やりたいことをやれる人生って最高に楽しいですよ!ぜひ一緒に最高にエンジョイできる人生を送りましょう!

剛力大介のプロフィール(いまさら編)

さてさて少し長くなりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

では、最後までに読んでくれたあなたに僕の簡単なプロフィールをお伝えしておくとします。笑

名前:剛力大介(ごうりきだいすけ)
身長:172cm
体重:58kg
性格:ポジティブモンスター
趣味:バラエティ番組鑑賞、インテリア雑貨、カフェ
好きな食べ物:ビール、牡蠣、焼き鳥、ウィルキンソンの炭酸水
好きな芸能人:新垣結衣、レイザーラモンRG、アンタッチャブル
好きな映画:キスオブザドラゴン・海の上のピアニスト
好きな漫画:東京喰種・ゴールデンカムイ
好きなアニメ:カウボーイビバップ・サムライチャンプルー・甲鉄城のカバネリ
好きな店:オープニングセレモニー
嫌いなもの:氷を噛み砕く音
マイブーム:「うさまる」と「グルメ系ハンバーガー」

うさまるはうさまるの個展にいくほどハマってます(笑)

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グルメバーガーはシェイクシャックが神ですが、最近は原宿のグレートバーガー(外部リンク)にも浮気気味です。

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最後に一切需要のない「動く剛力大介逆再生ver」を貼っておきます。わら

こんな僕ですが、もしあなたと気が合いそうでしたら、今後も温かい目で見守ってやってください。

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すぐに返信出来ないかもしれませんが、何かあればお気軽に送ってください^^

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